みなさん、こんばんは!
前回の記事1913年から1952年までドレスデン国立歌劇場でヴィオラ奏者として活躍し、同時に作曲家としても活動していたOskar Geier(オスカー・ガイアー)について書きました。
まだ見ていないという方はこちらから↓
今回は、オスカーガイアーの同僚で、彼が作曲した「コンツェルトシュトュック」を初演し、カリスマ的指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤンに ″Weltmeister der Tuba″ (世界一のテューバ奏者) と称された伝説的テューバ奏者Heinz Forker(ハインツ・フォルカー) について書いていきます。
元ドレスデン国立歌劇場テューバ奏者Heinz Forker 1912-1980
Heinz Forker ハインツ・フォルカー
1912年9月04日ドレスデン生まれのドイツ人テューバ奏者。
1927年から1929年までドレスデン音楽院でパウル・ビュットナーの元で学び、1932年にドレスデンオーケストラ訓練学校でクルト・クレッチュマーの元で勉強・卒業後、1年間フリーランス奏者として活動を行う。
その後1934年名指揮者カールベームに呼ばれドレスデン国立歌劇場に入団、1950年1年間ベルリン国立歌劇場での契約のため離れるが、1951年から再びドレスデン国立歌劇場に戻り、1980年3月1日までテューバ奏者を務める。
1940年からバイロイト音楽祭のメンバーとして演奏。
1943年からドレスデン音楽大学、1967年から客員教授としてウィーン国立アカデミーにて教える。
彼がテューバ奏者として活躍した年代のドレスデン国立歌劇場首席指揮者はこちら…
- カール・ベーム (1934年 – 1942年)
- カール・エルメンドルフ (1943年 – 1944年)
- ヨーゼフ・カイルベルト (1945年 – 1950年)
- ルドルフ・ケンペ (1950年 – 1953年)
- フランツ・コンヴィチュニー (1953年 – 1955年)
- ロヴロ・フォン・マタチッチ (1956年 – 1958年)
- オトマール・スウィトナー (1960年 – 1964年)
- クルト・ザンデルリング (1964年 – 1967年)
- マルティン・トゥルノフスキー (1967年 – 1968年)
- ヘルベルト・ブロムシュテット (1975年 – 1985年)
ハンス・クナッパーツブッシュやヘルベルト・フォン・カラヤンから世界一のテューバ奏者と称されたほど凄腕のテューバ奏者だった。
テューバ業界にもとても大きな影響与えた人物で、1960年マルクノイキルヒェン・クリンゲントハルにあったVEB Fabrik(ヘスの工場、現在のB&S)にて彼が持っていたチェルベニー製テューバをオーバーホールに出した際、当時のマイスター・ヘルベルト・フィッシュバッハと彼のチームとともに新しいより良い楽器の制作が始まり、1961年5月にプロトタイプの楽器が完成する。
その後ライプツィヒとベルリンから来たプロ・テューバ奏者の協力もあり、B&S F管ジンフォニーモデルが完成し、1964年ライプツィヒで行われたミュージックメッセで金賞を受賞した。
現代のようなF管を作りだした偉大なテューバ奏者のひとりでもあります。
オスカーガイアーのコンチェルトシュトュックは、彼のために書かれた曲で当時このテューバ奏者がどれくらいの力量を持っていたかわかりますね。
オーケストラ奏者だけでなく、先生としても活動、ソリストでも活躍、伝説的な奏者の一人です。
それでは、Tschüß!